弱小領主のゲーム手記

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気ままにゲーム日記を書く変人のブログです。

【太閤立志伝Ⅴ DX】新武将でまったりプレイ 其の七 【プレイ日記】

前回のあらすじはこちらの日記をどうぞ

lordaber.hatenablog.com

足軽大将としての日々

長島城攻略後、信長様は丹羽長秀殿を清州城・城主に就任させた。

丹羽殿、かなり信頼されてるな・・・

いつかわしも城主を任されるくらいにまで信任を得たいものだ・・・。末席から丹羽長秀を見ていた辰兵衛はそんなことを思った。

こうして、足軽大将としての日々が始まった。受ける主命は大体(訓練)である。

訓練で風林火山札は大活躍した

茶会を開いて部下の面倒も見たりもした。

茶会の一場面

身内だけで茶を楽しむ・・・。風流人はそれが面白いのだろうが、世間から剣豪と呼ばれるくらい剣術が好きな辰兵衛は退屈そのものであった。

一応茶道の修行もしていたので、最低限の知識はあった。

取りあえず満足してくれたか

(わしなら刀を振り回していたほうが面白いのだがのう・・・)

辰兵衛はそんなことを思ったりもしたが、武士の間で茶道が流行っている以上、水を差すようなことは言えなかったのだった。

そうこうしているうちに信長様は次の目標として安濃津城へ侵攻することにした。いよいよ本格的に北畠家を攻略に乗り出したのだ。

今回も、備大将の一人として参加した。

城攻め自体はいたって普遍的なものだったが、その後の熊野水軍がとんでもなく強く、大苦戦を強いられた。

ぶっちゃけ忍者よりも強いと思います。

戦功は第二位だった。

柴田勝家が戦功第一位。織田家きっての猛将に次ぐ戦果だった。戦功としては十分だろう。そしてその次の評定で・・・、

侍大将に昇進!

はは、ありがたき幸せにございます。

辰兵衛は順調に出世していったのだった。

出世街道をまい進する辰兵衛

この後信長様は、伊勢志摩攻略に専念した。

鳥羽城攻略では戦功一位だった。

大河内城攻略

 

熊野水軍織田家に従属した。

 

こうして美濃だけではなく伊勢志摩も切り取った織田家。後は南近江を攻略すれば、京は目の前だ。上洛の邪魔になるのは六角家だけだった。

その間にも辰兵衛は調略に走った。上洛した後、間違いなくて気になるであろう、三好家の家臣を引き抜こうとしたのである。

辰兵衛は、三好家家臣である、高山重友・楠長諳を調略した。

侍大将としての仕事も順調にこなしていった。

徴兵のワンシーン

こうしている間にも、情勢は刻一刻と変わっていた。信長様は頻繁に南近江に出兵。六角家攻めをしていた。

そして・・・、

六角家滅亡!

ここまで来ると上洛は目前である。六角家滅亡直後の評定で、

辰兵衛は部将に昇進した。

(わしもとうとう部将になったか。一国一城の主も現実的なものになったな)

信長、上洛する。

いよいよ信長様は二条城攻略に乗り出した。二条城はかつて将軍家の居城だったが、今では三好家が治めている。二条城攻略はつまり、三好家に対する宣戦布告であった。

二条城攻略は熾烈さを極めた

そして二条城守備隊が降伏。織田家は長年の夢であった上洛を果たした。

その後、辰兵衛は武将としての主命を果たしていった。

補修の主命。多分一番楽な気がする。

こうして主命をどんどんこなしていった結果、辰兵衛は家老に昇進した。

ここまで来ると、城主は目前だ。

家老になってから、信長様は援軍の総大将にわしを任命してくださるようになった。

期待は裏切りませぬ!

風林火山がここでも役に立った

総大将が自分なら、ほぼ無双できる。

戦功も独り占めだ

わしが一国一城の主になる日も近いな・・・。

そう思うと、より一層仕事に精が出る辰兵衛であった。

この時点での情勢説明

次回へと続く・・・。と言いたいところですが、実はこの時点でかなり歴史はくるっていました。武田家が勢力を伸ばして上杉家と徳川家を滅亡させ、ほとんどのイベントが遂行できなくなっていました。

こうなると史実イベントはほとんど起きないだろう。

武田家が強すぎる

一番の原因は、やはり私の下積み時代が恐ろしく長かったことにあると思います。本当に必要最低限の技能だけ身に付けないと、戦国情勢が大いに狂うということを学ばさせていただきました。

今後は汎用イベントしか起きないと思いますので、かなり簡略化された記事になると思います。それでは次回またお会いしましょう。