【太閤立志伝Ⅴ DX】後藤又兵衛が征く! 其の参【プレイ日記】
前回のあらすじはこちらの日記をどうぞ
又兵衛、真田昌幸から甲州流軍学を学ぶ
・・・・よし、ここらで名門武田家の兵法を学んでみるか
又兵衛は武芸には自信があったものの、兵法には疎かった。この廻国修行を機に、天下に名が轟く武田家の兵法を学んでみたいと思ったのである。
だが党の武田信玄は亡くなっており、長篠合戦で武田家の名将の多くが戦死していた。甲州流軍学を伝える者はいないだろうか・・・。そう又兵衛が考えあぐね居た挙句にたどり着いたのが、真田昌幸であった。
後の豊臣秀吉から表裏比興と言われ、煮ても焼いても食えない謀略家であるが、戦上手でもあった。
先代の真田幸隆の子ならば、甲州流軍学の極意を知っているのではないかと踏んだ又兵衛は、早速真田昌幸に会い、書物を送り親交を深め、軍学を学ぶことにした。
おお・・・、これが甲州流軍学の秘奥か!
昌幸からは悪用は厳禁と言われたが、又兵衛は心の中でどう使おうが儂の自由だと思い、家を後にした。
又兵衛、宝蔵院槍術を学ぶ
この後又兵衛は、各地で武芸関連の修行に明け暮れることになった。
結構骨が折れるな・・・
又兵衛はそう思いつつも、ようやく武芸の修行に勤しめることに感動していた。そして・・・
そろそろ槍術を極めてみようか・・・
又兵衛は、念願であった奈良の町にある宝蔵院流道場の門を叩くことにした。
手合わせで親交を深めて、入門を志願。そして・・・、
黒田官兵衛との再会
念願だった武芸修行に勤しむことになった又兵衛だったが、宝蔵院流の奥義は月一回しか身に付けられないらしい。一か月間待ちぼうけているのも無駄なので、この間に足軽の特技も取得することにした。
誰から学ぼうか・・・
又兵衛が思い付いたのが、赤松家と織田家との同盟交渉に走った黒田官兵衛であった。この男もなかなかの策士で、織田家に行った途端、羽柴筑前守とやらの家臣になってしまったのだ。
赤松家では不興を買ったが、又兵衛は内心この官兵衛の動きを評価していたので、官兵衛を頼って、長浜城に向かうことにした。
官兵衛の好きな南蛮物を買って親交度を上げ、早速足軽修行をすることにした。統率こそ低いものの、こちらには真田昌幸から教えてもらった風林火山がある。足軽修行は快適に進んだ。
そして・・・
これで儂も用兵に自信が持てるようになったわ・・・!
そう思う、又兵衛であった。
次回へと続く・・・。